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『夏物語』
 川上未映子
2022年9月24日  吉祥寺 <参加者6名>
参加者総合評価 ★★★★☆

*今回初めて川上未映子を読んで「これはすごいな」というのが正直な実感。夜寝前に少しずつ読んでいたが、その印象があまりにも重く強すぎて、夜も引きずってしまうので昼間に読むことに変えた。

第一部から引き込まれた。特に「貧乏」に対するくだりは、本当の貧乏を知らなければ書けない、作家自身の生い立ちであるであろうと思われるリアル感がある。
全体の構成にもうまさを感じる。終盤、夏子が関西の生まれ育った街を一人訪ね、幼い日に想いを巡らしある種の決断をする場面があるが、私自身も過去に関西の街を訪ねた類似の経験とも重なって非常に親近感があった。

何よりも全体を通して彼女の言葉の嘘のない「生さ」に驚かされ、惹きつけられた。

(B・男性)

*セックスと妊娠に対して、これからある姿は違うなということを単純に感じるのと、周囲から(特に男性から)聞く絶賛の声ほどの印象は受けなかった。それは私が女性であり、この小説に登場するような人物は普通にいるなという割とちょっと冷めた印象でした。
今さら過ぎることを言うようだが、セックスの先に妊娠・出産があるというのはおかしなことだなあと感じました。思さが釣り合わないというか。だからこれだけ人により状況により、いろんな感じ方があるのだろうと思います。
主人公が途中で急に「自分の子どもに会いたい」と思うようになるのと、逢沢さんが「僕の子どもを産んでもらえないだろうか」と言い出すのは、私はよくわからずにいます。共感するとかしないとかでなく、そんな流れだったのか?という違和感です。
私が何かを読みとれていないのかもしれませんが。
「逢沢さんからのメールやラインは嬉しかったけれど、やりとりしたあとはするまえより、いつも少しだけ淋しくなった」…これってセックスじゃん、と思いました。二人の間にこういう関係があったから、妊娠は必然だったのかといえなくもないのかもしれません。
他にちょっと残念に思ったのは、緑子がふつうのよい人に成長したことです。次世代を生み出すことを考えるのは、人生の夏なのかもしれません。主人公は名前の通り、夏の人で、対して緑子は八月の終わり生まれではありますが、春山君を選ぶあたり、穏やかでこれから伸びゆく春の人なのでしょう。名前の暗喩でいえば、ひどい経験をしてきたのが善百合子の名なのは痛烈です。
まあ基本的には面白く読めました。作者が美人なのが評価マイナス点です。…もちろん私の偏見です。
(U・女性)

 

*本を読むのが遅いので、まず何よりこの長い小説を読み切ったという充実感を感じる。私としては意外と読みやすい内容だった。
出産や自分のルーツを辿る小説かなと思って読んでいたら、後半は意外な展開だった。「私にはとても無理だな」というのが感想。大阪弁の前半「めっさ」と後半「めっちゃ」の使い分けが印象的だった。

基本的に精子提供は否定する。養子的な方法だったらまだ受け入れられるが…。

でも、この作家の他の作品も読んでみたくなった。
(N・男性)

*川上未映子の作品はデビューから数冊読んでいて、10年前は、私の中では読むべき作家の1人でした。ただ出産されたと聞いてから、少なからず「子育てMAX中にまともに書けるのか」という偏見があって、離れていました。軽いエッセイの類ならともかく…この辺り、ちょっと仙川さん的な視線でしょうか。

夏子が、家族をかけがえのない支えとして、愛し愛され、どんなに必死に生きてきたかが、巻ちゃんとの会話や思い出の端々に見えます。特にぶどう狩のエピソードは大好きです。貧困は悪であるけれど、生まれてきた環境は幼い子にはどうしようもないけれど、笑橋の飲み屋街には、姉妹2人を生かし続ける人情と包容力、彼女たちの<居場所>がある。

コミばあのひざと自分のひざが同じ形のところ、ゴンドラの中の緑子の横顔が母と似ているシーンも印象的です。同じDNAを持っている事実の確かさと安心感。そして、コミばあに、死んでもお化けになって「会いにきて」とお願いするところ、涙しました。それはまた、自分の子どもに「会いたい、ただ会ってみたい」と願う夏子の切実さにつながる気がしました。血のつながりだけが、家族を結びつけるものではない事は、逢沢さんの養父との関わりで綴られています。

しかしながら自分の半身を捜すように実の父を探す逢沢さんに、夏子が強く惹かれたのは、やはり血のつながり…本能的に同じものを求める性、自分という不確かな存在の不安、同類の切実さに感応したのではないでしょうか。

最後の方で夏子と逢沢さんが観覧車に乗る場面と、夏子と緑子がゴンドラに乗る場面はリンクしますね。

いままで子どもを持つという事は、養子や不妊治療含めて異性間の中での話であったけれど、もはや「ふたりパパ」などゲイやレズビアンカップルにも可能となった昨今。この小説の設定は、更に進んで、パートナーがいない女性が、性行為なく、独身のまま子どもを産み育てることができるのか?ということ。そこに善百合子の存在は、生まれてきた子の側からの、自分は決して望んでいなかったのに…という反対側からの異議申し立てです。「起こしてほしくなかった、生まれてきたいなんて一度もおもったことないのに」。残酷な賭けにも例えられて、この部分は響きました。命とは、生きるとは、子どもとは誰かのために生まれるものではない…痛いだけで終わる命もある。考えさせられました。

夏子が、子どもを産むという選択を選んだのは、逢沢さんからの申し出があったことに尽きると思います。そこにはお互いへの好意以上、セックスはなくても恋愛感情があります。自分の子どもを産んで欲しい、という言葉は会話として直接的に書かれていないけれども、ふたりの記憶と遺伝子を持った命は、その前に語られるボイジャーのゴールデンレコードに刻まれるように、未来へ向かう…という暗示で、とてもロマンチックです。出産の場面にも、宇宙が描かれていますね。小説的にも、夏子が子どもを産む結末は、当然のように思えます。

どんなに良い政治でも99人しか救えない、最後の1人を救うのは文学だ。誰が言ったのか知りませんが、そんな1人に届く一冊であるかもしれません。

(H・女性 寄稿)
 

*この小説の良さがわからない。何を描きたいのかな。村上春樹とは想起するものがあったが、この人の作品を読むのは初めてだが、作家のテーマとして、結局「出産」を描きたいのかなこの人は、と思った。
出産時に彼女が朝日新聞にエッセイのよう記事を連載していてたのを思い出した。
(N・女性)

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