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『僕らの戦争なんだぜ』
 高橋源一郎
2022年11月6日  生田 <参加者6名>
 

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 大岡昇平『野火』、太宰治『十二月八日』『散華』『惜別』、向田邦子『ごはん』など、かつて読んだ小説、読んだつもりになっていた小説が、著者の手解きによって、新しい姿で立ち現れてきた。自分の「読み」の浅さを知るとともに、各作品がもつ意味の深層にまで入りえた感覚が新鮮で、小説を「読む」とはこういうことなのかと、改めて感じた。

 真珠湾攻撃で始まった昭和16年の太平洋戦争、その開戦の日となった12月8日のことを書き記す作家は数多いて、多くは憎き米英に勇躍戦いを挑んだ帝国日本に喝采を送り、高揚する気持ちを筆に乗せて熱く語っている。

 その中で太宰の『十二月八日』を読むと、他の作家たちの書きっぷりと明らかに違うのがよくわかる。どう見ても、開戦に沸き立つ日本と日本人を茶化しているようにしか読めない。当時の検閲を通過して雑誌に掲載されているはずなのに、これでよく通ったなと驚くばかり。でもよく読むと、これでは検閲官もさぞ判断に迷っただろうなと思うような“仕掛け”が多々凝らされている。その巧緻やさすが太宰治と、改めて嘆息してしまった。漱石、芥川とともに、いまだに全集が刊行されて読まれ続けているのは、ワケがあったのだ。

 もう一人、向田邦子もそう。昔、『ごはん』(『父の詫び状』所収)を読んだときは、ただ楽しげな向田家の戦時中の一コマか、くらいにしか思わなかったが、イヤイヤそんな浅いもんじゃない、と髙橋に教えてもらった。東京大空襲に遭った人たちの多くは悲惨な体験をしているのが当たり前で、その体験を題材に小説を書けば、それなりに重いものになるのが普通だろう。それを、空襲で周りの家がほとんど焼き払われた中、ポツンと焼けずに残った我が家で、家族一緒に食べたごはんの楽しかった情景を、忘れがたい思い出として描いた。描いたのは、戦争への怒りでも、米軍への憎しみでもなかった、というのがすごい。

 「「ごはん」の家族は、最後まで「日常」を手放さなかった。」と高橋は書いている。そう、家族や愛すべき「日常」を持っている人間だから、あの時代、戦時の空気に感染することなく済んだのだと思う。

 高橋は鶴見俊輔にも触れているところで、「「平時」の感覚で育った鶴見さん、「非常時」に抵抗できる素地があった」と書いているように、空気に紛れ込んだ狂気に感染しない人は、自分自身の「日常生活」をしっかりもっているのだと思う。

 あの『智恵子抄』を書いた高村光太郎が、戦時中、日本文学報国会に依頼されて『詩集 大東亜』に寄せた檄文ならぬ檄詩を見てびっくりしたが、あれほどの詩人にしても、時代の空気感染から免れなかったのは、恐ろしいことだ。

 太平洋戦争は遠い昔の話ではない、と思う。

「いまも高村さん入る。」

「「大声」は、特に要注意だ。」

 という高橋の呟きを、忘れないようにしたい。(B)

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