5月12日のふふふ読書会(生田)の本は、ジョージ・オーウェルの作品です。
先月の『本の栞にぶら下がる』の中でも、1章を割いて書くほど、斎藤真理子さんには「気になる」作家であり続けたジョージ・オーウェル。私も「気にはなりつつ」購入したまま積んどくでしたが、斎藤さんの文章に休眠状態の関心が呼び覚まされました。
お隣韓国の脱北者の話に繋げて、「考えてみれば、私が長い間『一九八四年』を読むたびにうんざりしてきたのは、そこに描かれているのが予想もつかない醜悪さではなく、いやというほど予想のつく醜悪さであり、それが濃縮されていたからではないだろうか。そして、〈でも、うちは濃度が低いから大丈夫〉と思っていられる時期は、徐々に終わりつつあるのかもしれない」という斎藤さんの意味深の言葉に、私の中の何かが疼きました。
というわけで『一九八四年』にしたいと思います。
最初に、オーウェルの「作品」としたのは、斎藤さんも複数のオーウェル作品を紹介していることと、すでに既読の方もいらっしゃることを勘案して、このほかに、『動物農場』と『オーウェル評論集』もOKということにします。