この本は、11月にテキストとして予定している『実存主義のカフェにて』の予習として思い選びました。いきなり500頁余りの翻訳、それも実存主義! に立ち向かう勇気のない私としては、専門課程に進む前に教養課程で「実存主義概論」を聴講してから臨みたい、という姑息な心根でおります。でもここで(この年齢で)、もう一度おさらいしておかないと、死ぬまでに絶対、サルトルなんて読まないだろうな、と確信してもいます。二十代のフニャフニャ頭で挑戦した『嘔吐』に嘔吐しそうになった苦い経験へのリベンジでもあります。
前回テキスト堀田善衛の『広場の孤独』の中でも主人公が、「…日本の知識人たちは、並のフランス人以上にサルトルのことまでよく知っているようだが…」と書いているように、1950年当時、サルトルは相当な影響力を持っていたようで、昨年読んだ大江健三郎も大きな影響を受けているサルトルと実存主義、この機会に学び直したいと思います。