『星の子』
今村夏子
2022年10月29日 吉祥寺 <参加者6名>
参加者総合評価 ★★★☆☆
*今は新興宗教や宗教二世が話題になっている分、逆に冷静に読めた気がします。
最近受けている小説教室で講師方が「小説とはすでに失われたものを書くもの」という言葉を思い出しています。
「当時、母は専業主婦で、父は損害保険会社に勤めるサラリーマンだった」とあり、詳しくは書かれていないものの、今ではその安定した生活は崩れているのを予感させます(損害保険会社の仕事をしながら、自らの将来に保険はなかったのですね)。
傍目に見れば虐待されていると言ってよい環境にありながら、ちひろは家庭や学校、宗教の場でもそれなりの居場所を見つけています。
両親も決して悪気があるわけでなく、むしろその善良さによって取り込まれているのがわかります。
対極にある南の酷薄な明るさ。この人も教師としては優秀なのだろうと思います。なべちゃんも春ちゃんも、不気味なひろゆきも人間性があふれていて魅力的です。人となりがわからないのは、海路や昇子でしょうか。どこまで本気なのか。
ちひろの場合、二世というより、宗教のきっかけは自分自身の病弱体質だったので、まーちゃんより宗教を否定しにくいところもあるのでしょう。
ちひろの目を通して描かれる宗教は糾弾されるべきところは少ないように見えつつ、被害を受けた女性が出たり、リンチの噂がでたり、不穏な空気をはらんできます。最後にくっついてくる両親に囲まれながらも、そのときは終わりを告げているのだと予感させます。
流れ星はすでに死んだ星。あとは燃え尽きるしかないのです。
(U・女性)
*とにかく、ちひろが可哀想で可哀想で…
私は、主人公はラストでてっきりこれから殺されるのだ、と思っていましたので、皆さんの反応に驚きました。両親の手でひそかに殺されるのか、海路さんたちに両親ともども殺されるのか、無理心中に巻き込まれるのか、いずれにせよ、哀れな最期しか浮かびませんでした。それはとても可愛そうに思えたので、いやいや、あんなに友達に恵まれているのだから、誰かに助けられるはずだ、と思いたかったのですが、もしもそうならそういうストーリーで書かれるはずだな、と思い、ああ。。。という感じで読み終わりました。
30年前のオウムの陰惨な事件を思い出しました。この若い作家さんは、オウム事件の時は小学生だと思うので、その時の報道が鮮烈でこんな話を書いたのかしら、とか思っていました。しかし、会では、彼女は特に宗教を書きたかったわけではなかったと聞き、びっくりしました。
それで、ああ、この作者は純真無垢な、芦田愛菜が演じるのにぴったりな「林ちひろ」というけなげな少女を、殺したかったんだな、と思ったわけです。この作家には暴力性が潜んでいるということもうかがいましたので、この過酷な状況でも曲がることなく、両親を愛する気持ちを疑問もなく持ち続けられる林ちひろの、疑いのない、穢れをしらない魂を殺したかったんだな。主人公に一番殺意を抱いているのは、作家本人なんだ、と思ったわけです。
(N・女性)
*とにかく内容が薄く、特に何も感じるものがなかった。
この小説の作家は「宗教二世」について描きたかったのではないように思う。
私の頭が固いのか、中学三年生の言葉で描かれるのも感情移入できなかった。本当に真面目に「宗教二世」について描くなら、もっと深い内容や人物描写にして欲しかった。
(B・男性)
*今村夏子の作品はほとんど読んでいるが、この作品はこれまでとかなり毛色の違うものだと思う。彼女は、強い「暴力性」を含んだ独特の爽快さ?が持ち味と思うのだが、今作はそれを極力抑えている。その案配がとても良い。
この小説は新興宗教や宗教二世について否定も肯定もしていない。それどころか今村夏子はそれを無邪気に楽しんでいる感さえある。しかし、その戯れ合いの中から不遜と信頼、愛情と狂気、それらの抱え得ている問題の狭間に、どんどん読む者を追い込んで行く。それも中学生の眼を通して。
それが秀逸に現れるのがラストだと思う。このラストシーンから、ある人は暖かな未来を予感し、ある人は不穏な暴力性を予感する。ここで生まれる、ちひろのそれからの未来の予感の差異こそ、この小説の持つ本当の深さだと思う
(K・男性)