『右大臣実朝』
太宰 治
2022年12月24日 吉祥寺 <参加者7名>
参加者総合評価 ★★★★☆
初の古典(?)物、そして太宰治の作品中としてはかなり特殊な作品のため、参加者がどうかなと危ぶんでいたが、「鎌倉殿の〜」の影響もあるのか、年末にも関わらず、7名という発会以来最多の方が参加して頂いた。
「吾妻鏡」の古典原文と太宰文の併合という特殊な構成のため、やはりその難解さから、最初から全く入れなかったという声もあった。確かにいきなりの古典原文のハードルは読むものの意を削ぐことは頷ける。
しかし、昨今の歴史ブームの影響か「吾妻鏡」そのものへの興味も深いのだろうか、参加者のほとんどの方が「吾妻鏡」原文(太宰によって多少変筆されているが)から読み込んでいられるのは正直驚き脱帽してしまった。
実朝という人物の魅力は、その悲劇的な将軍像というよりも、歌人としての彼の才能を皆高く評価している意見が多くあった。確かにこれほど文学に深い憧憬と才能を持った将軍はいない。そのような人物が権謀術数の時代の政治の頂点に立たされ、やがて滅び去って行く姿は、何となく太宰の文学性と相通ずるものがあるのではないかというのが一致した声だった。
戦時中に描かれたという点に特に注意して読んだという方もいた。非常に技巧的な太宰の文章の陰に、何がしかの時代への言及がないかと読んだが、なかなか見つけられなかったということである。かなり強引にこじ付けるなら「北条」と「東条」は置き換えられるのではではないか…。これはなるほどと面白かった。
私個人の感想を言えば、改めて太宰の文章と構成のうまささを実感したのだが、それを踏まえても強く感じたのは、この小説の何ともいえない「奇妙さ」である。
まずは実朝であるが、「アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ」この彼のみカタカナ表記で表される言葉に代表される実朝の異常なほどの超然さである。他の登場人物が比較的人間的に面白く描かれているのに対して、主人公の実朝のみ非常に人間性を超越した神のような存在で描かれている。これは人間の洞察やおかしみをを深く描く(と私は思っている)太宰の小説の主人公としてはかなり奇妙である。
そして決定的なのは、公暁の人物像である。物語の終盤、この小説の語り手である実朝の侍従に公暁がカニを食いながら激白する場面は、もはや奇妙を超えて爆笑してしまった。比較的長いこの公暁の場面はこの小説の中で異常なほど異質である。と言うか、この部分だけ我々が慣れ親しんでいる太宰そのものである。爆発する(参加者の感想)公暁と侍従の場面は異様なほど人間臭さに満ち溢れているのだが、それでいて決定的な実朝殺害の真意を仄めかしているのかと言うと、そうでもない。
物語はこの後、「吾妻鏡」他の長い実朝暗殺の原文記述のみで終わる。あの公暁の絞り出すような激白に対する言及には太宰は何も触れず幕を閉じるのである。この「奇妙さ」を、もし太宰が意図して構成したものであるとするならば、改めて太宰治の小説家としてのポップさに感服してしまう次第である。(K)